
2006年06月17日
物館・美術館紀行5 先週土曜日上野の「プラド美術館展」に行ってきた。
9時30分なのに既に混んでいる。団塊の世代が次々と定年を迎えていく今後、ますます美術館等へ足を運ぶ人が増えていくのだろう。その意味で、来年1月、六本木に新国立美術館がOPENするというのは、タイミングが良い。
さて展示であるが、数々の名画がある中、「プラド美術館展」の最初のポスターにもなったティツィアーノ作、“ヴィーナスとオルガン奏者”に絞って考えてみる。
この絵には様々な寓意が秘められていて、ティツィアーノは愛と美の形を“音の美”と“肉体の美”のハーモニーとして表現したとか高尚な解釈がたくさんあるのであるが。
このヴィーナスはオルガン奏者の演奏を聴きながら、長椅子?に横たわっている。窓の外には立派な庭園が見えるからお屋敷の一室にいるのであろう。豪華な髪飾り、ネックレスを身につけて。それでいながら何故ヌードなんだ?というのが率直な感想。
昔から人は、ヌードを鑑賞したいが為に神話を題材にして、女神たちを描いてきた。ボッティチェリのヴィーナスは、神々のいる花園にいて、若く完璧な肢体を持ちひたすら美しい。
それに対しこのティツィアーノのヴィーナスの場合、横に天使が描いてあるから、お約束としてこの女性はヴィーナスです、ということになっている。しかし、このヴィーナスの肉体は、理想化されていない、生身の人間(それも熟女)として描かれているので、これを女神とするのに違和感がある。加えて人間の生活空間に身を置いていることが、わいせつ感を増幅させている。
「神話にかこつけるのはもう無理ですよ。早い話、見たいのはヌードでしょ。そこまでして見たいんですか?」と、マネは「草上の昼食」や「オランピア」を描いてしまったのだろう、と私は想像する。もう、人々のこの裸への執着心は呆れるくらいだ。
しかしながら、本当のことはストレートに言ってはいけないのが世の常で、「それを言っちゃあ(描いちゃあ)、おしまいよ」なのではある。欲望は満足させたい。しかし来客に見せられるよう、居間にも置ける大義名分がなければいけない。そのせめぎ合いの中で生まれてきたものなのだろう。そうでなければゴヤに「着衣のマハ」と「裸のマハ」両方を注文した人のようにするしかないのだから。
追記
翌日曜日、只券があったので江戸東京博物館に「ナポレオンとヴェルサイユ展」を見に行った。展示は「レジヨンドヌール勲章」が見られたのが良かった。
ダヴィドの「マラーの死」を除き、「下手な絵もたくさんあるんだなあ」というのが感想。「プラド美術館展」を見た直後だけに、後年まで作品が残っていたとしても、世の中名画ばかりではない、ということがよく分かった。
ところで、相変わらず、江戸東京博物館の特別展示室は、狭くて曲がりくねった展示だ。人が固まりやすく、奥行きがないのですぐに人とぶつかり大変不快。絵は一歩下がって見たりしたいものだ。その下がるスペースがなく、いちいち人とぶつかるのではたまらない。国立博物館並みの値段を取るのだから、もっと展示を充実させよ。とにかくスペースを広く取るべきだ。
2006年01月05日
年末年始物見遊山(博物館・美術館番外編) あけましておめでとうございます。
皆様はこのお正月休みをどのように過ごされましたか?
私は、東京駅改修に伴い、一応今年で終了するというので、12月28日夜「ミレナリオ」を体験してきました。
交通整理に導かれた人々が車道の上に掲げられたイルミネーションを見上げて、順序よく初詣のように進んでいました。私はといえば、そのすぐ横の歩道をさっさと歩いて来ました(何故か歩道は自由に歩けたのです。皆さんと一緒にお付き合いするには寒すぎました)。少し斜めではあるけれど十分OK。欲張りすぎかもしれませんが、イルミネーションが色形とも同じものが続いていたのが意外であり、残念でした。また、売店が出ていて「ミレナリオ公式認定グッズ」とついたよく分からないもの(バッジ等)が売られていて、販売終了のものもあるほどでした。
久々に子供の頃の暮れの雑踏を思い出しました。一緒に行った友人と「(向田邦子の子供の頃ほど前の話ではなくても)昔はお正月といえば、新しい服(下着を含む)を着て迎えたものだけれど、今は「よそいき」という言葉さえ余り聞かないものね」等と話しました。
それにしても銀座は凄い混雑。何処も行列で食事をするところが見つかったときは、万歳でした。「ミニバブル」などと言われています。池袋にいると実感がありませんが、銀座にはそれが来ているようでした。
明けて2006年1月4日
1月3日「博物館で初詣」というイベントをやっている上野の国立博物館へ行ってきました。1時30分から獅子舞があり、生演奏のお囃子を聞き、お獅子に頭を噛んでもらってお正月気分満喫です。時間によって和太鼓・琴の演奏等もあります。
ミュージアムショップでは福引きをやっており(2500円以上買うと1回引ける)、国宝カレンダーと浮世絵のマウスパッドが当たりました。
干支の戌にちなんだ展示の外、特別展示品(目玉)は、長谷川等泊の「国宝松林図屏風」です。作為を超越した高み・悲しみに、脈拍が乱れそうになりました。
1月2日は入場無料だったとか。これは来年も行かねばなりませんね。国立博物館「友の会」に入ってしまおうかしら、と思ってしまったお正月でした。(み)
2005年11月12日
博物館・美術館紀行4 11月3日さきたま風土記の丘に行きました。
さきたま風土記の丘とは、県名発祥の地となった行田市大字埼玉にある、5世紀終わりから7世紀初めの頃に作られた9基の古墳が集まっている国の史跡です。また、さきたま資料館では古墳から発掘された遺物が展示されています。
特に、稲荷山古墳から出土した「獲加多支鹵大王(ワカタケル)」銘のある金錯銘鉄剣を直に(見学者が少ない為、なめるように)見ることができます。昭和43年に発見されたこの鉄剣は、それまで古文書にしか記載の無かったワカタケル=雄略天皇の存在を、江田船山古墳の金錯銘鉄剣と相まって証明することになった画期的(古代史を書き変えた)なものなのです。同時に発掘されたもの全てが国宝です。しかも入館料がなんと50円!で、一緒に将軍山古墳の見学もできます。この倍の値段でも安いものなあ。
それにしても、サビてボロボロになった鉄剣の上に書いてある、金錯銘のなんと鮮やかなことか。てっきり学芸員の方が上からなぞったのかと思ったらそうではなく、1500年間土の中にあって変わらない金の凄さを感じました。
古墳は良く整備(復元)されていて、9基の古墳の周囲を巡るだけでなく、古墳の上を歩くことができます。前方後円墳は写真で見ると高さがわかりづらいですが、実際はひょうたんを縦半分に切ったものを地面に置いた形をしています。よって前方部から後円部に歩くと、結構急な勾配を下って昇ることになり、立体としての古墳が実感できます。
この古墳の上を歩くというのが、中々出来ることではないのです。現在各天皇陵及び陵墓参考地は研究者といえども、一歩たりとも中にはいることが出来ません。
卑弥呼の墓か?と言われている箸墓古墳でさえ、数年前台風の被害を受けて、一部斜面が崩れたところから土器などが露出した際にも、陵墓参考地であるが故に、じれったくも研究者たちが出来ることと言えば、堀の外から双眼鏡で見ることだけでした。
そもそも天皇陵及び陵墓参考地は、昔から定まって祀られていた訳ではありません。幕末文久3年の尊皇思想の高まりから始まったことなので、既に顧みられなくなって久しい陵墓をそれらしく整備したり、実在が疑われる(フィクションの)天皇の陵墓を作ったりで、現在の姿になったのです。天皇陵の比定自体が非科学的なので、現在では考古学的に見て間違って比定されている古墳が数多くあります。例えば継体天皇陵は「太田茶臼山古墳」ではなく「今城塚古墳」であるというのが通説です。
そのおかげ?で、無指定の今城塚古墳を発掘したら、まだ調査中の段階ですが、貴重なものがたくさん出てきて、古代史の研究をする上で重要な発見がありました。そこで、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を発掘することが出来たらどんなにか素晴らしいだろう、と思わずにはいられません。宮内庁よ、何故頑迷に門戸を閉ざすのか。日本の文化・学門の為に、学者には研究の機会を与えるべきではないですか。と私は言いたい。江戸時代には、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)で庶民が花見を楽しんでいたそうなのですから。
さて、さきたま古墳ですが、上記のような制約がないので、自由に散策をし、お弁当を食べ、歴史も勉強できて、国宝も見られる。季節の良いときに、家族連れで訪れるに良いところです。自分ではにわを作ることのできる施設もあります。
だた、埋葬されている人が地方の有力者であって、金錯銘鉄剣により「乎獲居臣(オワケ?)」という名前が分かっても、「古事記」「日本書紀」には載っていない無名人なので、歴史のロマンが広がってこないというのが、畿内の古墳と違うところでしょうか。今はただの畑であっても「ここを天智天皇が歩いたのか」などと思うとまた違って見える訳で、その面に欠けるというのは、致し方ないことかと思います。
おまけコーナー
「古墳亭」で食べたうどんは美味しかった。ご主人は100%しっかり群馬系の埼玉弁でした。ここは埼玉県だけど、隣は群馬県高崎市なんだと再確認してしまいました。
近くに一軒ある売店では、縄文から古墳時代までの埴輪のレプリカをたくさん売っていました。埴輪を良く理解した人が作っているらしく、なかなか良くできていて、値段もお手頃。遮光器土偶など買ってしまおうかと思いました。(結局買ってませんが)
また、この売店では行田名物「ゼリーフライ」というものを売っていました。現地に来る道すがら「行田名物フライ」という看板を多々目にしたので、いったいどんなものかと思っていました。実際は、じゃがいもにおからと少量のネギ等の野菜を混ぜ、衣をつけずに揚げたか鉄板で焼いたかしたもので、ソースで味付けがしてあります(マクドナルドのハッシュドポテトに近い・お好み焼きに似たものもあるらしい)味は、80円という値段が示すように、子供のおやつという感じ。元々は日露戦争帰りの人から広まったとかで、ゼリーは「銭」がなまったとの説が有力とのことです。こんな名物があるなんて初めて知りました。よろしかったら一度どうぞ。
2005年10月05日
博物館・美術館紀行3 9月23日(秋分の日)に、東京都美術館「エジプト展」に行きました。
行った時間は16時前でしたが、入場待ち15分で、17時閉館だというのです。
よって、見ることはあきらめ、ミュージアムショップでエジプトグッズを買った後、祝日は18時までやっている国立博物館の平常展を見学し、金曜日は19時まで開いている国立西洋美術館内のレストランで食事をしてきました。東京都美術館よ、開館時間の再考を求めます。
国立博物館では、奈良興福寺の「仏頭」を展示していました。この「仏頭」は興福寺にあるときは、阿修羅などのスター仏像の中にあって、白鳳期を代表する大切な仏像なのに目立たない存在なのです。(特に以前は宝物館を入ってすぐの所に、机くらいの高さの展示台にいきなり置かれており、仏像通である、みうらじゅん氏にかかっては、「加藤登紀子」と言われて、ほとんど一瞥(いちべつ)もされずに通り過ぎて行かれる存在でした。ちなみに私はこの仏像の、まっすぐ前を向く生命感あふれたところが大好きです)
それが、国立博物館においては、奈良から特別に来ていただいた「国宝」なので、スーパースター待遇で特別室が設けられ、一段高いところに四方からライトアップされて展示されていました。
現在は「頭」しか残っていないとはいえ、本来は須弥壇の上にあった座像であったでしょうから、人々から仰ぎ見られていた本来の位置で見ることができたわけです。
机の高さに置いてあった興福寺の仏頭を見た時の印象とは随分違いました。上から見下ろしていると、どうしても童顔の年少者を見る視線になってしまっていたようです。
しかし、今回仰ぎ見ると、溌剌とした凛々しさを感じ、当時の人は「神々しく、新しい時代を歩んでいこうという頼もしさ」を感じたのではないかと思いました。今回に限らず、仏像はお寺にあるときと展示会にあるときと随分印象が違うことがあります。・・・が、この話はまた別の機会ということにします。
その後ゆったりと平常展を見学し、西洋美術館内にあるレストラン「すいれん」で、気持ちの良い接客のもと、1500円でちゃんとした洋食を食べることができました。当初の予定とは違ってしまいましたが、思いのほか気持ちのよい午後を過ごすことができました。
おまけコーナー
味・量・雰囲気・料金において、西洋美術館内にあるレストラン「すいれん」はお薦めです。カップルはもちろんのこと、上野の後ファミレスなどを考えている家族連れでも、こちらを絶対お薦めします。入場料なしで入れますよ。(み)
2005年09月04日
博物館・美術館紀行2「ドレスデン国立美術館展-世界の鏡」 8月某日国立西洋美術館「ドレスデン国立美術館展-世界の鏡」展に行ってきました。
しかし、この展示会名はどうかと思いました。最初聞いた時「鏡」がいっぱい展示されるのかと思ったくらいです。そんな事前の知識もないまま、「フェルメール」が来ているということを目的に行ったわけですが、これが面白かったのです。先に国立博物館でやった「ベルリン博物館島」展より良かったです。
展示は、ザクセン選帝侯(王様)が16世紀後半以降、その時代・時代で興味を持ち収集したものを展示しています。
1.まず、『科学技術』にはまり「地球儀」「製図用具」「巨大凹面鏡」等の豪華版を作成
2.次に、憧れと憎悪のアンビバレントな気持ちを抱いて豪華な異国趣味『オスマン・トルコ』にはまり、「武具」「馬具」の収集及び複製品の作成。
3.そして芸術の先進国『イタリア』にはまり「絵画(テッチアーノ1枚あり)」「ガラス製品」の収集及び画家をドレスデン呼び寄せてのドレスデン風景画の作成
4.時は絶対王政絶頂期、ルイ14世との交際に刺激されて、アウグスト強王は宮廷を全てフランス風に作り替え、競うように豪華衣装等の制作に走ってしまいました。
お金と力の入れようはもう怖いものなしです。良くも悪くも、そしてそれが後世に残る文化遺産となっていく。
5.また、アウグスト強王は中国・日本の磁器にはまり、イヤホンガイドによると「自他共に認める磁器狂いの王は…(イヤホンガイド表現のママ)」どうしても自国で東洋のような磁器の作成を望みました。中国・日本の磁器の横に、模倣品である(正直いって拙い)マイセン磁器が置いてあり、その過程をみることができ興味深いです。しかしその執念が殖産興業に結びつき、ついには現在のマイセンが出来上がったのです。
6.続いてオランダ絵画 レンブラントもあるけどやっぱり真打ち登場フェルメール
「窓辺で手紙を読む女」 とても紙に絵の具で描いたものとは思えません。
絵の中の空気が見ているこちら側にも伝わってくるようです。是非ご自分の目で見て下さい。
7.上記の過程を経てのドイツロマン主義の台頭(オリジナルな文化の発生)
以上のように、カエサルの昔から文化的には先進国とはいえなかったザクセン(ゲルマン)が、世界の一番良いものを取り入れていった過程を見る展示会。まさに「世界の鏡(世界を写す鏡)」展という名称が付いたのは呑み込めました。
私的には、ザクセン公国の年表・家系図・領土図等も一緒に展示しておいていただけると、理解がいっそう深まり良かったのですが。
この展示は9月19日までやっています。最後まで読んで下さった皆様、今度は見に行くことができます。(み)
2005年09月01日
博物館・美術館紀行1 「縄文VS弥生」 7月某日上野の「科学博物館」で開催された「縄文VS弥生」展に行ってきました。
『土器対決か!』と思いきや、『なんと人骨対決』であったところが「科学博物館」開催の展示会らしいところでした。
頭蓋骨等も何体も見ていると、だんだん違いが分かるような、気になってくるのが不思議なところです。
縄文人と弥生人の違いについて一番興味を引かれたのは、すねの骨の違いです。縄文人の方が太く丈夫で、筋肉が付きやすい構造になっているそうです。三内丸山の発掘により、野山のものを狩猟・採取する民という以前の定説は崩れてきていますが、やはりテリトリーを広範囲に持った、活動的な生活をしていたのでしょうか。
そこで思い出されたのが古事記・日本書紀にある「長脛彦」の記述です。神武天皇(おそらくは朝鮮半島から渡来してきた弥生系の人々)が九州から東征し、大和に入る際、現地民と戦闘をして平定したという箇所で、その現地の「まつろわぬ人々」の首領が「長脛彦」なのです。そんな呼び名が付くくらいですから、はっきりと分かる外見上の特徴があったのでしょう。
小・中学生の夏休み特集的な展示ですが、この展示を見て、本館での類人猿の骨との対比を見て、国立博物館の考古学室の展示を見れば、トータルな理解が得られるかと思いました。私的には、DNA解析による「縄文VS弥生」、日本人はどこから来たのかをもっと詳しく展示して欲しかったです。
といったこの展示会なのですが、残念ながら8月31日で終了してしまいました。最後まで呼んで下さった皆様ごめんなさい。
★おまけコーナー
科学博物館のレストランのメニューに「恐竜の卵コロッケ」があります。パン等が付いたセットもありますが、これのみ単品で500円で食べられるのが良心的です。(み)
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